数学なら「誰が言ったか」は原理的にはどうでもよく、証明が通れば高校生の証明でも正しい。...

@cosm0rder
Z世代エリサラの発狂@千代宮@cosm0rder
2 views Aug 23, 2026 ~1 min read
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数学なら「誰が言ったか」は原理的にはどうでもよく、証明が通れば高校生の証明でも正しい。

ところが法学では、同じ文章でも最高裁が書けば判例になり、法制局が書けば政府解釈になり、行政庁が書けばガイドラインや審査基準として実務を動かす。
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教授の見解も、その教授個人の頭の良さ以上に「どこの大学の学派のどこに位置し、判例実務にどれだけ受容されているか」で重みが変わるんすよね。

つまり法学の「論理」は、数学的な真理発見の論理とはかなり違う。
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もう全部書くか

事実

誰に決定権限があるか

どの法源が上位か

どの解釈が制度的に承認されているか

その決定を整合的に説明できる論理を組む

という順番

だから「で、その意見はどこに書いてあるの?」
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これは思考停止ではなく、法というシステムでは「その命題を誰が発する資格を持つか」自体が命題の一部なんすよ

内閣法制局長官がこう言った
昔の政府答弁がこうだった
偉い憲法学者が違憲と言った
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これらは政治的、知的には非常に重い。
しかし「最終的に国家権力として俺の判断を否定できるのは誰なのか」と突き詰めたとき、安倍さんの頭の中では最高裁だった、ということだから。

大学で法学を習うと、どうしても法を巨大な論理体系として錯覚する。
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法律家は毎回ゼロから正義を発明しているのではなく、明治以来どころかローマ法以来延々と熟成されてきた制度の断面を薄く切り出すんだよな

だから俺『数学は「なぜ正しいか」を証明する学問やけど、法学は「誰に、何を正しいと決める権限があるか」を探す学問』 

法とは権力を権威へ変換する技術
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