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39 views Jun 09, 2026 ~1 min read
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【新刊】しばしば私達はマルクスを通じてフォイエルバッハを読んできた。しかしそれはどうやら横顔しか見ていなかったようである。今回本邦初訳となる本書はフォイエルバッハの遺稿となる講義草稿だ。とてつもないアイデアに満ちていた。
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マルクスが読みたかった科学的〈唯物論〉とは違ってフォイエルバッハの遺稿では精神の動きを自然の働きに返して、その機序が合目的に社会全体を動作させるような独自の自然観の中で動いている。

「存在は主語」でありながら述語でもあることを明言する。いわばフォイエルバッハは双方向なのだ。
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そればかりか、紋切り型で批判されてきた「フォイエルバッハは抽象を軽視している」というあの決め台詞が悉く覆されていく。抽象は二つのことを同時に機能させている。一つは抽象が自然や思惟の〈本質〉を取り出す。それと同時にそれは自然や思惟の〈外に〉置かれる。後者の批判だけに注視されてきた。
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ところがこの二面性には先があり、外に置かれる抽象をいかにして自然や思惟の中に置き直すかという技法の方へフォイエルバッハの思考は開かれている。マルクスが立ち止まった先に道は続いている。
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1829/30年。エアランゲン大学の講義に私達は参加しよう。マルクスという外部装置を外して私達が望むものが自然の合目的の中で作動しうる道を探す時がやってきたのである。

『論理学形而上学序論講義』
ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ 著
服部健二 訳
アトリエ花粉館
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