実際のモンゴルの大都放棄はそこまで悠々としたものではなく 失われた大都の栄華を嘆く詩が多く残っています...

失われた大都の栄華を嘆く詩が多く残っています
またこの時期は中原の資源地帯への要衝も次々明に陥落しており、物質的にも「元が大帝国に留まれるか」の瀬戸際でした
その決定的な敗北が「ブイルノールの戦い」での元朝廷崩壊です(続)
籠城戦なんてやらないで大都は放棄して、明はもぬけの殻に入城します。
楽でいいかと思いきや逆で、壊滅も消耗もしてない→
北元皇帝トグス・テムルの本営が捕捉・急襲されました
ここで言う「本営」とはハーンとその直属軍だけでなく、重臣ら首脳部、更に後宮までが随行する『草原を移動する朝廷』とも言えるものです
本来はこれが移動することで、遊牧民はその中心を捉えられない優位がある筈でした
しかし宿営中の本営を明軍に衝かれた結果、モンゴル軍は大敗
トグス・テムルは落ち延びた末に死亡し、家臣団と後宮、兵士合わせて約8万人が捕虜として明に連行されています
この時点で「中原から草原に帰ってきた元朝の政治統治機構」は実質的に消滅しています
それ以降の北元ではアリクブカの子孫がハーン位を継承しますが、ハーンの政治的実権は衰退し
従来の元朝廷とは距離を置いていた草原の諸部族による、ハーンを象徴に担いでの群雄割拠状態に入ります
後年明を悩ませる「北虜」となるオイラトやタタールも、この時代以降に改めて伸長した勢力です
明領内に侵入したオイラト軍への迎撃ですし、発端もオイラトが朝貢貿易の再開を求めたことで
永楽帝の時代のいわゆる北伐とは完全に独立したイベントですので