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いっぽうでこれらよりはるか後年になると侍という用語はどうなってきたか、結果からすると、やはり下方に拡散してきたということになるでしょうか。

平井・高木先生の御本、とくに高木先生の身分法令などの本、それを紹介した平井先生の本では、いわゆる若党が侍に相当しました。

ですからここは、近世において士分と呼ばれるべき武士は、とうぜん侍とは呼ばれないことになります。

たとえば小早川家文書の

『奉公人、侍・中間・小者・あらし子に至る迄、去七月奥州江御出勢より以後、新儀ニ町人百姓ニ成候者之在らば、其町中地下人として相改、一切をくべからず』

などの侍は武士ではなく、最下級の武家奉公人で戦闘員となる若党などを指しました。

一方、若党を除いた中間以下の階層は、侍(若党)に比べて、荷物持ちや雑用を務めるのが主でした。

高木先生によれば、若党は道具持ちなどをしないのが原則でした。

この点で、若党と中間以下は区別され、一方で中間以下の階層には中間・小者・あらし子といった区分がありますが、これらは別称で呼ばれることもあり、務める職やその内容は江戸期でいえば藩、あるいは主人によって異なっておりました。

また、藤木先生などによれば、侍の中には名字を許されているものもいたようです。

なお、又若党というものもいますが、これは若党の下につく家来のようなもので、若党を指す用語ではありません。

ちなみに、戦国期の侍の中には昵近侍(昵近衆と同義)などがいる場合もあり、これは華やかな服装を許され、とくに主人の周囲を固める側仕の集団を構成していました。
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おわー、誤字。

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最下級の武家奉公人


最上級の武家奉公人

すいません。
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