本音では「小さな防衛費で大きな予算裁量」という与党の統治モデルの前提である 「9条+安保」を維持したいが、
集票マシンとしての「改憲」も捨てがたいからです。
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(与党の統治モデル)
防衛費を低く抑える「9条+安保」体制があってこそ、自民党は①高齢者向け年金医療(都市票)、②公共事業(地方票)、③子育て支援(浮動票)等に同時に配分できました。
防衛費を低く抑える「9条+安保」体制があってこそ、自民党は①高齢者向け年金医療(都市票)、②公共事業(地方票)、③子育て支援(浮動票)等に同時に配分できました。
都市中間層は増税と社会保障削減に敏感、地方基盤は公共事業縮小に敏感です。低コスト防衛は両者の痛みを緩和し、また派閥間バーターを容易にする基本枠組みだったわけです(宏池会=財政規律/平成研=土建予算)。

(集票マシンとしての「改憲」)
対して「改憲」は、政治情勢(国会の与野党比率)にも経済情勢に左右されない動員装置でした。
- 憲法論議は与野党交渉が進まなくても「集会・署名・地方決議」を繰り返せるため、常時運動が可能。
対して「改憲」は、政治情勢(国会の与野党比率)にも経済情勢に左右されない動員装置でした。
- 憲法論議は与野党交渉が進まなくても「集会・署名・地方決議」を繰り返せるため、常時運動が可能。
- 神道政治連盟・日本会議の綱領に〈新憲法制定〉が明記され、神社・氏子・護国神社遺族会を通じて地方保守層を一括動員。
- 農山村の小選挙区では宗教・業界組織が票の読みやすい“基礎票”になるため、改憲集会への参加が候補者選考や推薦状発行の条件になる。
- 農山村の小選挙区では宗教・業界組織が票の読みやすい“基礎票”になるため、改憲集会への参加が候補者選考や推薦状発行の条件になる。
背景知識として、少し歴史の話をしておきましょう。
自由民主党は1955年に自由党と民主党の合併によってできた政党で、その時抱えた「平和憲法+安保体制のもとでの経済成長」と「自主憲法制定」と言う2つのビジョンを景気と国際環境に応じて使い分けてきました。
自由民主党は1955年に自由党と民主党の合併によってできた政党で、その時抱えた「平和憲法+安保体制のもとでの経済成長」と「自主憲法制定」と言う2つのビジョンを景気と国際環境に応じて使い分けてきました。
1955 年時点の保守2党である自由党と保守党の両派は、社会党左右合同(1955.10)に危機感 を抱き、同年11 月に保守合同=自由民主党を結成しました。
・吉田茂率いる自由党は“平和憲法+安保頼み+経済成長” 路線
・鳩山一郎率いる保守党“対米依存の相対化+自主憲法” 路線
・吉田茂率いる自由党は“平和憲法+安保頼み+経済成長” 路線
・鳩山一郎率いる保守党“対米依存の相対化+自主憲法” 路線

自由民主党の結成は、こうした相反する2つのビジョンを 1 つの政党に同居させることになります。
このために
立党宣言は「自主独立の完成」を掲げ、党是として「現行憲法の自主的改正」を明記しましたが、文言はあえて 自由党と民主党の双方が解釈できる“玉虫色” にとどめました。
このために
立党宣言は「自主独立の完成」を掲げ、党是として「現行憲法の自主的改正」を明記しましたが、文言はあえて 自由党と民主党の双方が解釈できる“玉虫色” にとどめました。
その後、1960 年代半ばまでに「改憲は結党理念だし重要目標だけど当面は棚上げ」という自民党内コンセンサスが成立し、これに合わせるかのように宏池会などハト派が党内主流を占めるようになります。

こうなった背景は、
・朝鮮戦争特需のあと社会の最大関心は雇用・生活水準向上に向かい、憲法改正よりも「高度成長」の方が票になったこと
・米軍駐留が安全保障コストを肩代わりし防衛費を GNP 1%前後に抑制でき、余力が成長投資へ回わせる“吉田ドクトリン”が企業・官僚・有権者の支持を得たこと
・朝鮮戦争特需のあと社会の最大関心は雇用・生活水準向上に向かい、憲法改正よりも「高度成長」の方が票になったこと
・米軍駐留が安全保障コストを肩代わりし防衛費を GNP 1%前後に抑制でき、余力が成長投資へ回わせる“吉田ドクトリン”が企業・官僚・有権者の支持を得たこと
・改憲発議(衆参 2/3)を常に阻む勢力が存在し、鳩山改憲案は 1956 年に早くも行き詰まったこと
などが挙げられます。
などが挙げられます。
では何故「2つのビジョン」はその後も存続したのか。
それを考えるには自民党の支持基盤について整理する必要があります。
それを考えるには自民党の支持基盤について整理する必要があります。
戦後の自民党支持基盤は ①大企業、②地方農村、③中小商工の“三本柱”でしたが、都市化の進行で②③が弱体化すると、「制度保守」を掲げる宏池会(岸田派)・平成研(茂木派)が都市票を防衛し、「文化保守」を掲げる清和会が地方票を固める二層モデルが形成されました。

1970‑90 年には、田中派(平成研の前身)が公共事業で地方を懐柔することで集票。この時点では地方の文化保守はまだ補完勢力にとどまっていました。
1990‑2012 年:冷戦終結と小選挙区制で農村票の重みが増し、文化保守を背景とする清和会が最大派閥に成長。
1990‑2012 年:冷戦終結と小選挙区制で農村票の重みが増し、文化保守を背景とする清和会が最大派閥に成長。
2012‑22 年:第2次安倍政権下で「改憲・安保法制」を旗に文化保守が結束、日本会議・神政連が全国動員網を構築。
2024‑25 年:安倍派裏金スキャンダルにより清和会が正式解散、地方組織は残りつつ党内勢力図が流動化
2024‑25 年:安倍派裏金スキャンダルにより清和会が正式解散、地方組織は残りつつ党内勢力図が流動化
裏金事件と派閥解散で人とカネのパイプが劣化し始めた今、二層モデルの再調整(資金透明化・都市票回復・地方再編)が間に合わなければ、次の総選挙でモデル自体が揺らぐ可能性が高いと考えられます。

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