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これだけを読むとアーレントが意見の複数性を重視した、他者の意見に耳を傾ける思想家のように見える。が、彼女はリトルロック事件に際して真逆の態度をとった。彼女は黒人達の平等への要求を、「社会的」な地位を向上することだけを目的としている物だとみなし、「政治的」な意見だとはみなさなかった
このことは、単にアーレントが自身の思想と反した態度をとった、ということだけでなく、「複数性」概念を唱える者が共通して抱える問題点を明らかにしている。いかに「平等で異なる意見」に耳を傾けようとしても限度がある。政治にまるで関わりのない要求にいちいち取り合っていたら、時間が足りない。
なので「複数性」を重視する者たちは、取り扱える意見に制限をかける。アーレントなら「公的/社会的/私的」という区別を設けた上で、「社会的/私的」な要求は政治においては相応しくない、と主張する。問題は、この区別があまりにも恣意的で、論者の好みによってどうとでも判断できるということだ
それこそ、差別主義者アーレントは黒人の声に耳を傾けるのが嫌だったから、「政治的/社会的」という区別を使って要求をつっぱねた。このように「複数性」を唱える論者は、独裁者にくらべれば他人の声に耳を傾けられる人間ではあるが、一方で「異なる意見」を恣意的な基準で排除する傾向にある。
私は、最近話題になっている安野貴博という人に興味がないので、彼がプルーラリティをどう捉えているのかは知らない。だが、彼が「複数性」をまともに理解しないまま他者を排除している、という意見については、疑問を禁じえない。安野は多分「複数性」を掲げる人々の悪い部分を強調しただけにすぎない
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