@kasa12345: 認識論は難しい分野だけど、1ミリも知らない人が「哲学をかじり...
認識論は難しい分野だけど、1ミリも知らない人が「哲学をかじり始めの若い子もすぐコントリビュートできる分野なんです。ちょっと面白い反例を考えついたり、ちょっと頭が切れる子だったら、その哲学のプロがやっている哲学の産業の中に入ってすぐ参加できる」と貶める。gendai.media/articles/-/134…
自分はパワハラは自分より年長者がより若い人たちが勉強している分野の意義を認めたくなくてやるものだと思っていたけど、自分と同年代やより若い人がこうした言動をしたり、それを批判しないのを見ると悲しいよ。
自分は現代認識論の専門家です。おそらく、日本で自分より現代認識論に詳しいという人は存在しないでしょう。それで言うけど、現代認識論は21世紀の現代哲学の中でも研究している人が他分野に比べても非常に多くて、その専門知は素晴らしいものです。誹謗中傷に惑わされず、安心して研究してほしいです
現代認識論の専門知は、すぐ参加できるような甘いものではないです。でも学術研究というのは、当然ながらそういうものです。だからやりがいがあると自分は思います。それをパズルだというレトリック、この問題はこういうものだとか根拠を示さずに言う人は、誠実に研究してほしいです。
荒畑「だから現代認識論なんてもうすごいことになっている。知識って呼べるための条件がえらいことになっている。」って言うわけなのですが、現代認識論の専門家の自分でも、そんな「すごいこと」、「えらいこと」になっている条件を(現代の議論で)知らないんですよ。
ほんとにそんな条件があるなら明示して、教えて下さい
認識論は、他の哲学分野同様に方法論的反省を常にしてきたわけで、そんなアドホックに分析を追加するということは、すぐに反省されて、80年代後半は確実にないと言えると、自分の理解では思います。
古田「ギャップを埋める条件を入れると、その条件に対する反例が別の論文という形で出てくるから、それに答えるためのさらなる手当て、別の条件を加えるという仕方でどんどんどんどん……」同様に、どんな(浅薄な)反例でも追加するということなんて、90年代以降行われた例を自分はほとんど知らない。
なんで現代認識論とCavellの懐疑論についての見解を、ここまで敵対的に対比しないといけないのかもわからない。James Conant, Michael Williamsを初めとして、Cavellをそれなりに論じている。最近だと今年出たAdam Leiteの懐疑論本ほCavellをそれなりに扱っている(もともと弟子筋なのもある)。
まあでも、これも現代認識論の議論を全く知らないで言っているのだろうと思う。繰り返すけど、知らない分野を全面的に貶めるなどというまねは学術的態度ではないし、パワハラになりかねない。もっと勉強するか、しないなら口をつぐむべきだと自分は思う。
哲学史専門の人が自分の訳した本、専門に近い立場を褒めたくなるのは心情的に理解できるけど、1ミリも知らない分野を貶める必要はない。しかも、その際に虚偽を述べそれに気づかないのも恥ずべきこと。そんなことを繰り返し見てきて、自分の世代ではなくなると希望を持っていたけど、無理みたいだ。