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そもそも「日本仏教」という概念自体が近代の産物だという厄介な問題があります。この概念は、アジアの広い地域に“Buddhism”という「同じ一つの宗教」が存在するという認識が19世紀に生まれ、「仏法」「仏道」より使用頻度が低かった「仏教」が新たにその訳語と化すことで生まれた概念なので…(続く) <a target="_blank" href="https://twitter.com/totutotudojin/status/1950048220207321250" color="blue">x.com/totutotudojin/…</a>


まず、「仏道」「仏法」「仏教」という語は、どれも大昔からありました。しかし、最も普通に用いられていたのは「仏法」や「仏道」です。「仏法」は仏や菩薩や教義や修行や祈祷や儀礼や僧侶や寺院などなど、仏に関するすべてを包み込む意味の広いことばとして、よく用いられていました。

「仏法」や「仏道」が実践に重心を置いた語であるのに対して、「仏教」は(仏典に書かれているような)文字化された教えに重心を置いた語で「仏法」よりも意味が狭く使用頻度も低い語でした。ところが、19世紀に“Buddhism”とかいうものがアジアに広がっているという認識が生まれると話が変わってきます。

アジアの広大な地域に見られる現象をひとくくりにする“Buddhism”というカテゴリー概念が新たに生まれ、“Buddhism”は「世界宗教」だという認識も生まれます。日本では、「仏教」という語が“Buddhism”の訳語として、それまでの狭い意味のことばとは異なる新しいカテゴリー概念として定着していきます。

明治以前にも、仏法は「天竺」に起源があり、「震旦」を経て「本朝」に伝わったという認識はありました。「本朝」の仏法や「本朝」の高僧を語る書物が大昔から書かれてきたことも事実です。しかし、アジアの広大な地域に「仏教」という「同じ一つの宗教」が広がっているという認識はありませんでした。

このようにして「仏教」という新しい概念が成立すると、アジアの広い地域で見られる「仏教」というものの「本質」は何なのか、などといった議論もなされるようになっていきます。言わば、「仏教」という新しい概念を前提に、その「本質」や理想像を求める試みがなされるようになったのです。

「日本仏教は“本来の”仏教ではない。“本来の”仏教から逸脱し堕落した仏教だ」などと言われることがあります。このような主張は、それまでと異なる意味あいを帯びた「仏教」という概念や、それを支える近代的な言語空間が新しく創作されて初めて生まれた、できたてほやほやの「仏教語り」なのです。

それまでと異なる「仏教」とかいう近代的な概念が成立し、その「仏教」とやらの「本質」(svabhāva)や理想像が追求されるようになったことで、初めて可能になった新しい語り口なわけです。ついでに言うと、我々は何の疑問も覚えることなく「日本仏教」という概念を用いていますが、

近代日本仏教史を専門とするオリオン・クラウタウ(1980-)は、「日本仏教」ということばは近代的な国民国家を指す「日本」という語と、「仏教」という近代的なカテゴリー概念の組み合わせによって成立しており、近代の独特な文脈において創作された観念であると指摘しています。

従来の「本朝」という漠然とした枠に基づく「本朝仏法」と、近代の新しい「日本仏教」という概念には断絶があるわけです。「日本仏教はガラパゴス化し堕落した仏教だ」「日本仏教はガラパゴス化しているからこそすばらしい」といった語りは、こうした近代的な土俵の再編を経て初めて生まれたわけです。

以前加藤さんのこのポストが注目を集めていましたが、これも19世紀以降にアジアで見られる巨大な現象が「仏教」とかいう概念で一括りにされ、「中国仏教」「日本仏教」といった国民国家を背景とした従来と異なる枠で比較されるようになったのを背景とした話だと思うんです。 <a target="_blank" href="https://x.com/totutotudojin/status/1945631828523847947" color="blue">x.com/totutotudojin/…</a>

これは、いわゆる「世界の一体化」が進行し、地上のどこにいてもその地域だけで完結していることができなくなり、外部の人々との相互交渉を通じて「自分たちとはいったい何者なのか」を問わざるをえなくなったからこそ起きてくる厄介な話のように思うんです。 #環流夢譚