人文学・文学・社会運動の言説に「ナラティブ」という言葉が使われることが多くなりました。
ただ、私が知人たちから聞いた限り、この言葉はかなり評判が悪い。特に、一定以上の年齢層や、知らない単語と遭遇するのが苦手な人は、「ナラティブ」と聞いた段階で離脱する傾向がある。これは↓
翻訳の問題でもある。
ナラティブには、
・語る行為そのもの
・語る行為の結果である物語
この2つの意味がある。
だから、ナラティブを「語り」「物語」のどちらかで訳してしまうと、もう一方のニュアンスを犠牲にせざるを得ない。
もちろん、わざわざナラティブと表現する人は、
ナラティブには、
・語る行為そのもの
・語る行為の結果である物語
この2つの意味がある。
だから、ナラティブを「語り」「物語」のどちらかで訳してしまうと、もう一方のニュアンスを犠牲にせざるを得ない。
もちろん、わざわざナラティブと表現する人は、
「これは誰が語っているのか、その事実にどんな意味があるのか」を重視したいと思って使っているはずです。
しかし、「ストーリー」という単語ほどには日本語に馴染んでいないため、「またインテリが新しい小難しい言葉を使っている」と思われる側面が出てきている。
言葉を公表する人にとってこれは
しかし、「ストーリー」という単語ほどには日本語に馴染んでいないため、「またインテリが新しい小難しい言葉を使っている」と思われる側面が出てきている。
言葉を公表する人にとってこれは
かなりつらい。
自分が信じる価値を持つ言葉が、まだ世の中に浸透していないなら、浸透するまで使い続けるほかない。
しかし、使うほどに、自分が伝えたい内容が聞いてもらえなくなる。
このジレンマを解消するには、その場その場で単語の意味を説明するという力技を繰り返すしかない。
自分が信じる価値を持つ言葉が、まだ世の中に浸透していないなら、浸透するまで使い続けるほかない。
しかし、使うほどに、自分が伝えたい内容が聞いてもらえなくなる。
このジレンマを解消するには、その場その場で単語の意味を説明するという力技を繰り返すしかない。
従来、文学や精神医学で「ナラティブ研究」という言い回しは使われていた。でも一般層にまではこの言葉が広がっていなかった。
でも、私の体感だとこの5年ほどで急激に使われることが多くなった。
いい事だとは思う。一方、「それって要は物語のことを気取って言ってるんでしょ?」と思われる傾向も
でも、私の体感だとこの5年ほどで急激に使われることが多くなった。
いい事だとは思う。一方、「それって要は物語のことを気取って言ってるんでしょ?」と思われる傾向も
よくわかる。
ある単語にしかないニュアンス、意味の方向性がある、だからこれしか使えない、という状況はどうしてもある。だから私も要所要所で「ナラティブとはどんな意味か?」を説明してみようと思う。
もうちょっと受け入れられやすくなるのは、5年後とか10年後かもしれない。
ある単語にしかないニュアンス、意味の方向性がある、だからこれしか使えない、という状況はどうしてもある。だから私も要所要所で「ナラティブとはどんな意味か?」を説明してみようと思う。
もうちょっと受け入れられやすくなるのは、5年後とか10年後かもしれない。
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