View Tweet
念のため注釈しておくが、ジル・ドゥルーズは「ヤーセル・アラファートの偉大さ」などを書くくらいの親パレスチナだった。そして、ドゥルーズを親パレスチナにしたのは他でもないフェリックス・ガタリだった。彼らの理論をイスラエル国防軍が軍事作戦に応用したのは、横領に他ならない。
ガタリはイラン・ハレヴィ(ユダヤ人だがPLOの幹部だった人物)と交友を結んでおり、ある時ガタリがハレヴィのセミナーに参加したところ、パレスチナ人のエリアス・サンバルも同席していた。ガタリはサンバルの話に感銘を受け、彼をドゥルーズに紹介する。サンバルはドゥルーズの長年の友人となった。
サンバルは『パレスチナ研究雑誌』をパリで創刊し、その創刊号では彼とドゥルーズの対談「パレスチナのインディアンたち」を掲載している。この雑誌が創刊できたのもドゥルーズの紹介があったからだ。こうした経緯はフランソワ・ドスの『ドゥルーズとガタリ 交差的評伝』に詳しく書かれている。
Generated by Thread Navigator
Press ⌘ + S to quick-export
