吉見俊哉『博覧会の政治学』を読んだ。万博博覧会がいかに植民地主義と縁が深いものであるか、博覧会において人々のまなざしはどう機能しているか、などを研究した意義深い本だが、特に第6章の70年大阪万博の分析を興味深く読んだ。70年万博はそこに内包された政治性を臭わせない「お祭り」だった。

そもそも、70年に万博を開催しようとした目的は、「膨大な建設需要」の創出を通じた「経済規模の拡大」だった。万国博覧会をダシにしつつ、経済効果だけを狙っていたのだ。もっとも、70年以前(そして以後)の万博も同様の狙いをもとに催されていた。別に大阪だけが趣旨を捻じ曲げていたわけではない。
とはいえ、そうした本音は表に出すわけには行かない。世界中の国々を呼んで博覧会を催すには壮大な建前を作る必要がある。そこで呼び出されたのが、岡本太郎を始めとした前衛芸術家や知識人だった。彼らに万博のヴィジョンづくりをすべて任せることにして、政治家や経済人は経済の方に注力したのだ。
70年万博は岡本以外にも、丹下健三、小松左京、梅棹忠夫などなど錚々たるメンツが参加したことが伝説として語り継がれている。彼らが呼び出された理由は、そもそも万博自体が経済以外何も目的としていない空っぽのものだったからだ。そんなイベントに知識人たちは装飾を纏わせようと必死になっていた。
そんな中、岡本太郎は70年万博を「お祭り」だと位置づけた。彼は交友があったジョルジュ・バタイユに倣うかのように、万博は「絶対的な消費が本質だ」と述べた。彼にとって万博は最先端の科学技術だとか、他国の文化だとかを学ぶものではない。何もかも「カラ」にする高揚を生むためのイベントだった。
岡本が打ち出した「お祭り」というワードを体現するように、万博にはとにかく人が集まった。会期末には一日85万人が集まり、連日報道紙面をにぎわせた。「国鉄や農協、学校、それに旅行業者たちからなる動員」もあった。テレビでも毎日万博の模様を伝えていた。1970年は皆が皆万博に注目していた。
一方で、そんなに人が集まったら会場の混雑は相当なものとなる。会場では人々の悲鳴や怒号が毎度のように響いていた。入口から出口まで行くのに精いっぱいで展示物などを見る暇もない。一つのパビリオンを四分で通り過ぎた人もいた。何を見たのかさっぱりわからなかった、と述懐した人も多かった。
著者は「この『お祭り』が、誰による、誰のための、いかなる「お祭り」なのか」、と問いかけている。「お祭り」感を演出するために、原爆や戦争に触れた展示物は会場から撤去されていた。水俣病の被害者たちが会場でカンパを呼びかけようとしたこともあったが、これも万博協会によって阻まれている。
70年と言えばまだベトナム戦争は終わっていなかったし、沖縄も返還されていなかったし、学生運動もまだまだ盛んな時代だった。会場の内側で「お祭り」を演出しつつ、そこに国民の関心を一気に引き寄せながら、その外側の政治問題や社会問題から目を背けさせる――70年万博には、こうした効果もあった。
師の丹下とともに参加した磯崎新は、万博終了後「いま、戦争遂行者に加担したような、膨大な量の疲労感と、割り切れない、かみきることのできないにがさを味わっている」と残している。70年万博はある意味で全国民を動員し、彼らを「絶対的な消費」以外に興味を持たせないようにする「戦争」だった。
そして今日、70年万博が振りかえられる際、こうした「お祭り」の問題性はほぼ顧みられない。岡本や丹下はもちろん、磯崎も鬼籍に入った。いま生きているのは、批判的思考の身についていない時期に万博を体験した人々や、単に成功した「お祭り」だとしか教えられていない万博体験のない人々ばかりだ
彼らは今となって25年万博の拙劣さを批判しつつ、成功した70年万博を懐古している。著者は、万博のようなイベントに人々の目を向けさせる「日常意識のなかの〈政治〉」こそ問題にすべきだ、と説く。単なる良い思い出として振り返られる時、隠微な政治性を内包した70年万博は本当の成功を収める。
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