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@prapanca_snares: 「明治以前には日本という「国」の意識はなかった」という説は誤...

@prapanca_snares
16 views Mar 24, 2026
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「明治以前には日本という「国」の意識はなかった」という説は誤りである。「和国」「和朝」「本朝」「皇朝」「皇国」などの語はあったし、江戸期に市販されてた多くの全国図も、琉球を含まず、蝦夷地は松前付近のみを載せてた。幕府の支配下の地域が「日本」であり、「国」の領域も明確だった。(続く)
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そもそも、江戸期に行われた参勤交代というのは、幕府による強力な政治的統合があって可能なものであるし、日本の各地で同一の貨幣が用いた活発な商業活動が行われていた。例えば、荻生徂徠の『政談』には、次のようにある。

「アキ人ノ勢盛ニ成テ、日本国中ノ商人通ジテ一枚トナリ、
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物ノ値段モ遠国ト御城下ト釣合セテ居ル故、数万人ノ商人一枚ニ成タル勢ニハ勝レヌ」

さらに、文書や手紙についても、文体は候文、字体は御家流が広く用いられ、出版物も全国的に流通していた。有名な安藤昌益の『自然真営道』(1753年)も、東北の人が書いたものを京都の出版社が刊行したものである。
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西川如見(1648-1724)の『日本水土考』(1700年)は、マテオ・リッチの『坤與万国全図』(1602年)を引用しつつ、「万国は各々自国を以て上国と為して、しかも自国の美を断ずる」としており、自国中心主義の問題点を指摘している。「万国」という概念や、世界には様々な国があるという意識もすでにあった。
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明治以前も「三国」と言って、仏法は天竺(インド)に起源があり、震旦(中国)を経て本朝(日本)に伝わったという考えがあり、「三国一の花嫁花婿」などといった言い回しもあった。「唐人の寝言」という言い回しなんかもあったし、多くの絵や芝居も、異国の人は言語も服装も異なるという考えを語っていた。
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さらに、幕府は出入国や貿易を厳格に管理し、「異国」からやってきた漂流者の送還の手続きも制度化していた。これは、「異国人」と「本国人」を明確に区別していたということである(そうでないと、出入国管理はできない)。なお、琉球の人々は「異国人」であり、「唐人」と呼ばれることもあった。
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「でも、福沢諭吉の『文明論之概略』には、「日本は古来未だ国を成さずと云ふも可なり」「嘗て余が説に、日本には政府ありて国民(ネーション)なしと云ひしも是の謂なり」とあるよね。これはどうなるんだ」と思う方もおられるかもしれない。でも、福沢はこれをどんな文脈で言ってるのかというと、(続く)
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「日本が外国と敵対したときに、戦争には行かないまでもそれを(自分のことのように)気にかける者がどれだけいるだろうか」という福沢自身の問いに自ら答えたものである。確かに、外交や戦争を自分事として考え、そこに深い関心や政治的主張を抱くような近代的な「国民」は、明治以前には見い出し難い。
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そういう文脈での「国民」であれば、明治以前には見い出し難いのだが、江戸にある幕府(当時のことばで言う「公儀」)が、言語や服装といった文化的な共通性を持つ「日本人」を直接・間接に統治しているという意識であれば、江戸期の日本の広い範囲にあったということになる。
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